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<説教題> 「信じることができない私をも」

<聖 書> ヨハネの福音書 20章19〜31節

<メッセージ> 小平 牧生 牧師

 

主日礼拝 4/15

イエスキリストが復活された事実を聞きながらも「見なければ、決して信じません」と言ったトマスの姿は、私たちの姿ではないかと思います。



信仰とは何でしょう。ヘブル人への手紙には「目に見えないものを確信させるもの」(11:1)とあります。見える→確信ではなく、信仰→確信なのです。厳密に言えば誰でも見えないものを信じているはずです。結局は「信仰がない自分をあわれんでください」と、神の前にへりくだって言えるかどうかです。

 


1、 人間の信仰(信心)の限界

“そこで、デドモと呼ばれるトマスが仲間の弟子たちに言った。「私たちも行って、主と一緒に死のうではないか。」” ヨハネ11:16

“トマスはイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」”ヨハネ14:5

“そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。” 25

 2、 神は私たちを「信じる者」としてくださる

“それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」” 27

“あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。” 1ペテロ1:8-

“信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。” ヘブル12:2

3、 みことば、信仰、救い、確信、喜び

“イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない。これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。” 30-

“信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。” ヘブル11:1


<メッセージレジュメ>

音声のみはこちらから2018_4_15_files/20180415.mp3