「リバイバルジャパン」という雑誌の「福音とは何か」というコーナーにあかしの原稿を書きました。身近なところでは何度もお話ししているあかしですが。最初に依頼があった時には、教理的なことや教会のあり方などを思い巡らしたのですが、結局は自分自身のあかしになりました。
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「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」
(ローマ1・16)
イエス・キリストの福音は、私たちを新しく造り変える神の力です。
大学時代に通っていた東京のN教会に、親しい三人の友人がいました。茨城から上京して教会に住み込んで献身者としての訓練を受けていたO君は信仰に燃えた情熱的な青年で、皆に愛されるリーダー的な存在でした。現在は青少年に対する専門伝道に従事しています。また、青森出身のM君は音楽の豊かな賜物が与えられており、いくつものオリジナルの賛美を作っては神様の愛を賛美していました。現在は食品会社を経営しながら多くの教会に出かけて行き、賛美をもって人々を励ましています。そして三人目のY君は秋田県の出身の頭脳明晰でとても魅力的な人柄の青年でした。彼は路傍伝道で初めて出会った人とすぐに友だちになり、その場で救いに導くことができるような伝道の賜物のある人でした。現在はコンサルタント会社を経営し、人材育成の仕事をしています。
当時の私たち四人は、イエス・キリストの愛に燃やされて宣教の情熱に満ちていました。週末はもちろん、普段の日も大学の帰りに教会に集まっては、祈祷室にこもって日本のリバイバルを祈り、トラクトを配りながら訪問伝道をしたり、駅前で路傍伝道をしていました。やがてY君と私はアパートを借りて住むようになり、近所の中高生に勉強を教えながら聖書を開いて伝道するという生活を始めたのです。それは今思い出しても心が熱くなる日々です。あのような若い時代とすばらしい友人が備えられていたことを主に感謝しています。
ところがある頃から、私の中に彼らに対する嫉妬が生まれました。N教会では日曜の夜に定例の伝道会が行われていましたが、牧師のK先生はいつも同じようにY君には司会を、M君には賛美リードを、そしてO君にはメッセージの奉仕を与えました。そして私に与えられた奉仕と言えば、玄関のスリッパを並べたり、会堂内を整頓するようなことでした。彼らはその賜物を生かしてとても輝いて奉仕しており、教会の青年たちも皆、彼らを慕っているように思えました。そのような中で、私は特にY君が用いられる姿を苦々しく思うようになったのです。
ある時、Y君が青年会のことで小さな間違いをしてしまったことがありました。それがどんなことであったか、今では覚えていません。しかし私は、この時とばかりに皆の前で彼を責めました。それだけではなく、彼に対して語ってはならない言葉で非難の言葉を重ねました。そこにいた人々だけでなく、私自身も驚くような自分の姿でした。その結果、彼は大変傷ついて一緒に住んでいたアパートを出て行ったばかりか、教会も離れてしまったのです。
私は自分のもたらしたことの大きさに気がつきました。一人の人が私の過ちのために教会から離れてしまうという事実の大きさに愕然としました。そしてそれ以上に驚いたことは、自分の中にある罪の力の大きさと、その力に打ち勝つことができないという惨めな現実です。私は立ち直れないほど自分自身に絶望してしまいました。
私はY君に謝るために彼の引越し先を訪ねました。しかし彼は私に会ってはくれませんでした。何度か試みる間に彼はさらに新しい下宿に引っ越してしまい、とうとう彼に会うことはできなくなりました。実家に連絡をしても新しい住所を教えてもらうことはできませんでした。
やがて大学も最終学年になり、私は神学校に進むための決断を迫られていました。しかし、どうしてもY君のことが心にひっかかっていました。「親友を躓かせておいて、お前には牧師になる資格があるのか。」 そういう声が心に響きました。夢の中にY君や教会の青年たちが出てきては牧師となった私を責めました。
「やっぱり駄目だ。」これが私の結論でした。
ちょうどその頃、西宮の母教会では、ある若い夫婦のガンの病の癒しのために教会をあげて祈っていました(後に、このご夫婦とご家族の証しが『ありがとう純子』という本になります)。私の出した自分の結論を両親に伝えるために家に帰ったその夜も、教会では数名の人が集まって祈っていました。
その祈り会で繰り返し歌われていた賛美を、私は涙なしには歌うことができませんでした。
望みは失せ 詮方尽きて
心弱り 思いしおれ
再び立ち上がる力 なき時にも
神を信ぜよ
神を信ぜよ 神を信ぜよ
神を信じて 勇み立てよ
(新聖歌四四一「望みは失せ」)
私は神様のために一生懸命に仕えました。将来は献身することを願いました。しかし私は、自分が認められないことに腹を立て、人と比べてねたみを覚え、兄弟を躓かせてしまいました。
「問題が解決して献身の道を開いて下さい。」
「Y君と和解できるようにしてください。」
何度祈ったことでしょうか。しかしその祈りはきかれませんでした。
そのような中で、自分自身と向き合えば向き合うほど、そして自分の問題を受けとめようとすればするほど、「この罪深い私を赦して下さい。」「信仰のない私を憐れんで下さい。」という祈りになっていきました。そして十字架を仰ぐ時、私の中に不思議な平安が与えられました。
やがて時を経て、神学校での学びを終えて牧師となり、結婚することになりました。まったく連絡の取れなかったY君にも結婚式の案内状を出しました。しかし、いつもと同じように彼からの返事はありませんでした。
ところが、結婚式の日の朝のことです。教会に一本の電話がありました。出てみると、それはY君でした。
「結婚おめでとう。」
7年ぶりの懐かしい声でした。お互いの挨拶を交わしたあとで、彼に言いました。
「あの時の僕を赦してほしい。」
Y君はこう言ってくれました。
「牧生君。僕は君を赦しているよ。」
その時の心の思いを、どのような言葉で表現したら良いのかわかりません。
「君を赦しているよ。」
その一言で、私の心の重荷がすべて取り除かれました。同時に、主のみことばと平安の霊に満たされました。
「子よ。心安かれ。汝の罪ゆるされたり。」(マタイ9・2)
「私は赦されている」という恵みを知りました。その日、私は友を得、そして妻を得たのです。二倍の祝福と喜びに満たされました。
私は、この経験から、その後の人生のために大切なことを学びました。一つは、人と自分を比べないこと。二つ目は、人を裁かないこと。三つ目は、自分が赦されたように隣人を赦すこと。すなわち「福音を生きる」ことです。
付け加えると、それからさらに20年を経て、私は思いがけない出来事を通してN教会の牧師になりました。そして改めて罪の赦しと神の愛に与ることになったのです。
「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8・38)