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自分のことを書く

「知られている」という喜びを感じることが多い。
それは、自分が評価されているとか、注目されているというようなことではない。むしろ見守られているという平安の感覚に近い。

祈っていただいていること、また私のことを感心を持って知ってくださっていることに関しては、教会のメンバーの方々についてあらためて言うまでもない。祈りのグループをはじめ多くの兄弟姉妹が、牧師である私のことをこと細かく祈ってくださっている。

今日は、同じ地域の教会の先生方や牧師夫人の方々が、私がなかなか宣教祈祷会に出席できない状況を理解してくださっているだけではなく、私のために祈ってくださっていることを知るできごとがあった。

神学校の恩師からいただいた年賀状に、「時々ブログを読んでいます」と記されていた。同じように、同労者の方から、ある時は初めて会った方からも、「先生と恵先生のブログを読んでますよ」とか、「先生の様子は手に取るように知っていますよ」と言っていただくことがある。

一般的には、人の粗をチェックしたり間違いを探しては指摘したり非難する人々が多いと言われるが、幸いなことに自分を誇張したり正当化する必要もなく、ただの自分をこのようなかたちでさらすことができる交わりが与えられている。牧師としての自分の働きを教会のメンバーに報告する責任を感じて始めたブログであったが、むしろ、自分のことを書いている私自身が助けられているように思う。

「知られている」ということは嬉しいことだ。

知ってくださっている方々のご期待に答える条件は、一つは、書くことや話すことが正直であること。等身大であること。自分の分際をわきまえることだと思う。
もう一つは、私自身も、隣人を知ることに全力を注ぐこと。知られている喜びを与えるものであることだと思う。

北国から帰りました。

突然でしたが、東京での教団理事会に続いて出張があり、結局四日間の奉仕を終えて先ほど西宮に帰りました。恵の誕生日なので、彼女の好きなお菓子を買って…。

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寒さ対策として池袋のユニクロでフリースを一枚買って出かけました。しかし、想像以上に寒くて、夕食をとってからホテルに帰る時間にはマイナス10度を下回っていました。10分ほどの道のりで最初の数分は大丈夫でしたが、ホテルに帰る頃には身体が冷え切っていました。

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帰りはこういう感じの飛行機に乗りました。高所恐怖症と好奇心との戦いがありましたが、今回は思い切って窓側の席をとりました。窓の外を見ていると日本の国土のほとんどは山なんだなあと感じますね。帰りの飛行機では、空港の書店で買った内田樹「呪いの時代」を読みました。

明日は宝塚の朝禱会です。寝過ごさないようにしないと。

「臆病者の言い訳」

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「リバイバルジャパン」に掲載したあかしに記した友人のM君こと三上君の久しぶりのCD。

四人の中で彼だけが現在も成増教会に残っている。
「臆病者の言い訳」という題だけれども、本当は、彼だけが「言い訳」しないで最後まで泥をかぶっている。手足を次々もがれて、死にそうになってんのに。

福音とは

「リバイバルジャパン」という雑誌の「福音とは何か」というコーナーにあかしの原稿を書きました。身近なところでは何度もお話ししているあかしですが。最初に依頼があった時には、教理的なことや教会のあり方などを思い巡らしたのですが、結局は自分自身のあかしになりました。

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 「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」
(ローマ1・16)

 イエス・キリストの福音は、私たちを新しく造り変える神の力です。
 大学時代に通っていた東京のN教会に、親しい三人の友人がいました。茨城から上京して教会に住み込んで献身者としての訓練を受けていたO君は信仰に燃えた情熱的な青年で、皆に愛されるリーダー的な存在でした。現在は青少年に対する専門伝道に従事しています。また、青森出身のM君は音楽の豊かな賜物が与えられており、いくつものオリジナルの賛美を作っては神様の愛を賛美していました。現在は食品会社を経営しながら多くの教会に出かけて行き、賛美をもって人々を励ましています。そして三人目のY君は秋田県の出身の頭脳明晰でとても魅力的な人柄の青年でした。彼は路傍伝道で初めて出会った人とすぐに友だちになり、その場で救いに導くことができるような伝道の賜物のある人でした。現在はコンサルタント会社を経営し、人材育成の仕事をしています。
 当時の私たち四人は、イエス・キリストの愛に燃やされて宣教の情熱に満ちていました。週末はもちろん、普段の日も大学の帰りに教会に集まっては、祈祷室にこもって日本のリバイバルを祈り、トラクトを配りながら訪問伝道をしたり、駅前で路傍伝道をしていました。やがてY君と私はアパートを借りて住むようになり、近所の中高生に勉強を教えながら聖書を開いて伝道するという生活を始めたのです。それは今思い出しても心が熱くなる日々です。あのような若い時代とすばらしい友人が備えられていたことを主に感謝しています。

 ところがある頃から、私の中に彼らに対する嫉妬が生まれました。N教会では日曜の夜に定例の伝道会が行われていましたが、牧師のK先生はいつも同じようにY君には司会を、M君には賛美リードを、そしてO君にはメッセージの奉仕を与えました。そして私に与えられた奉仕と言えば、玄関のスリッパを並べたり、会堂内を整頓するようなことでした。彼らはその賜物を生かしてとても輝いて奉仕しており、教会の青年たちも皆、彼らを慕っているように思えました。そのような中で、私は特にY君が用いられる姿を苦々しく思うようになったのです。

 ある時、Y君が青年会のことで小さな間違いをしてしまったことがありました。それがどんなことであったか、今では覚えていません。しかし私は、この時とばかりに皆の前で彼を責めました。それだけではなく、彼に対して語ってはならない言葉で非難の言葉を重ねました。そこにいた人々だけでなく、私自身も驚くような自分の姿でした。その結果、彼は大変傷ついて一緒に住んでいたアパートを出て行ったばかりか、教会も離れてしまったのです。
 私は自分のもたらしたことの大きさに気がつきました。一人の人が私の過ちのために教会から離れてしまうという事実の大きさに愕然としました。そしてそれ以上に驚いたことは、自分の中にある罪の力の大きさと、その力に打ち勝つことができないという惨めな現実です。私は立ち直れないほど自分自身に絶望してしまいました。
 私はY君に謝るために彼の引越し先を訪ねました。しかし彼は私に会ってはくれませんでした。何度か試みる間に彼はさらに新しい下宿に引っ越してしまい、とうとう彼に会うことはできなくなりました。実家に連絡をしても新しい住所を教えてもらうことはできませんでした。
 やがて大学も最終学年になり、私は神学校に進むための決断を迫られていました。しかし、どうしてもY君のことが心にひっかかっていました。「親友を躓かせておいて、お前には牧師になる資格があるのか。」 そういう声が心に響きました。夢の中にY君や教会の青年たちが出てきては牧師となった私を責めました。
「やっぱり駄目だ。」これが私の結論でした。

 ちょうどその頃、西宮の母教会では、ある若い夫婦のガンの病の癒しのために教会をあげて祈っていました(後に、このご夫婦とご家族の証しが『ありがとう純子』という本になります)。私の出した自分の結論を両親に伝えるために家に帰ったその夜も、教会では数名の人が集まって祈っていました。
 その祈り会で繰り返し歌われていた賛美を、私は涙なしには歌うことができませんでした。

 望みは失せ 詮方尽きて
 心弱り 思いしおれ
 再び立ち上がる力 なき時にも
 神を信ぜよ
 
 神を信ぜよ 神を信ぜよ
 神を信じて 勇み立てよ
     (新聖歌四四一「望みは失せ」)

 私は神様のために一生懸命に仕えました。将来は献身することを願いました。しかし私は、自分が認められないことに腹を立て、人と比べてねたみを覚え、兄弟を躓かせてしまいました。
 「問題が解決して献身の道を開いて下さい。」
 「Y君と和解できるようにしてください。」
 何度祈ったことでしょうか。しかしその祈りはきかれませんでした。
そのような中で、自分自身と向き合えば向き合うほど、そして自分の問題を受けとめようとすればするほど、「この罪深い私を赦して下さい。」「信仰のない私を憐れんで下さい。」という祈りになっていきました。そして十字架を仰ぐ時、私の中に不思議な平安が与えられました。

 やがて時を経て、神学校での学びを終えて牧師となり、結婚することになりました。まったく連絡の取れなかったY君にも結婚式の案内状を出しました。しかし、いつもと同じように彼からの返事はありませんでした。
 ところが、結婚式の日の朝のことです。教会に一本の電話がありました。出てみると、それはY君でした。
 「結婚おめでとう。」
 7年ぶりの懐かしい声でした。お互いの挨拶を交わしたあとで、彼に言いました。
 「あの時の僕を赦してほしい。」
 Y君はこう言ってくれました。
 「牧生君。僕は君を赦しているよ。」
 その時の心の思いを、どのような言葉で表現したら良いのかわかりません。
 「君を赦しているよ。」
 その一言で、私の心の重荷がすべて取り除かれました。同時に、主のみことばと平安の霊に満たされました。
 「子よ。心安かれ。汝の罪ゆるされたり。」(マタイ9・2)
 「私は赦されている」という恵みを知りました。その日、私は友を得、そして妻を得たのです。二倍の祝福と喜びに満たされました。

 私は、この経験から、その後の人生のために大切なことを学びました。一つは、人と自分を比べないこと。二つ目は、人を裁かないこと。三つ目は、自分が赦されたように隣人を赦すこと。すなわち「福音を生きる」ことです。
 付け加えると、それからさらに20年を経て、私は思いがけない出来事を通してN教会の牧師になりました。そして改めて罪の赦しと神の愛に与ることになったのです。
 「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8・38)

呪いのことば

「呪い」の言葉が巷間に溢れ返っているという内田樹氏の文章をfacebookで紹介されて読んだ。
「祝福」の反対は「のろい」、「祝福する」の反対は「のろう」であることに、あらためて気がついた。クリスチャンや教会は、「のろいのことば」から解放されているだろうか。「他人を呪うことは自分を呪うこと。」内田先生の文章をを題材に話し合ってみよう。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/28694

「あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。」 ルカ

自分の葬儀について考えてみる

1月から4月まで西宮チャペルでは次の成人分級が行われる。
1.「クリスチャンの死と葬儀」
2.聖句書道(前回好評につき継続)
3.クリスチャン新聞を読む(これも前回盛り上がって継続)

私の担当する葬儀についての分級も非常に関心が高い。
この日曜日は第一回で、オリエンテーション的な話をした。レジュメは次の通り。

成人分級1「クリスチャンの死と葬儀」(担当 小平牧生牧師)

 近年、葬儀に対する意識やあり方が変わってきていると言われます。華美なあり方がなくなり、反対に密葬や家族葬の形式が増えているようです。
 しかし、どのようなかたちであっても、私たちにとって葬儀は次のような意味で大切な時であることを忘れてはなりません。
 ・葬儀は、その人の人生を尊び、神に栄光を現す時であること。
 ・葬儀は、家族や親族の交わりを確認し、教会/コミュニティの絆を強める時となること。
 ・葬儀は、本人にとっては、信仰を証しする時であること。 
 ・葬儀は、参列者にとっては、自分の人生や生き方をふり返り、死への備えをする時であること。
 ・葬儀は、愛する人を失った家族にとっては、ともに悲しみ、癒しと希望に向かって歩み始める時であること。

 特に、私たちクリスチャンとって葬儀はその生き方と信仰を継承する機会であり、イエスキリストにあって与えられている死後に対する希望を証しすることができます。生きている間はいくら誘っても教会に来てくれなかった友人も、この時には来てくれるのです。その時を大事にするためには準備が必要です。事実、教会の葬儀に出席される多くの方々は好意的な感想を寄せられることが多く、これがきっかけで信仰に至ったり信仰の回復を経験される方もおられるのです。

 私たちの葬儀については、ただ質素であればよいというのではなく、本来の目的に照らしてそのあり方を考える余地があります。人生の最後にふさわしいすばらしい時とする大きな可能性があります。この分級がその一つのきっかけになることを願っています。内容は次のようなことを準備していますが、皆さんの質問や体験談を交えながら進めていきます。

【予定】
①.死とは
②.天国とは
③.使徒信条「からだの復活を信じます」とは (以上の三項目は前提としての確認)
④.葬儀は何のために行うのか
⑤.日本におけるキリスト教の葬儀の歴史
⑥.臨終から葬儀にいたるまで:もし身近な人が召されたら、まず何をするのか。
⑦.どんな葬儀にしたいですか:葬儀はだれのためにするのか。何を目的としてするか。必要なものは何で、必要でないものは何か。
⑧.【実習】自分の葬儀プログラムを作ってみましょう:讃美歌、愛唱聖句、個人略歴など。
⑨.お墓とお骨について:なぜ日本人はお骨を大事にするのか。
⑩.葬儀の後にすること:記念会や墓前礼拝といわゆる法事は何がちがうのか。
⑪.【実習】クリスチャンとしての「喪中ハガキ」の文案を考えてみましょう。
⑫.他の宗教の葬儀に出席する時に考えておくこと

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参考図書は、水野健「愛する人と自分のためのキリスト教葬儀」700円
事務所にあります。

「とげ」があります

少し疲れると首から背中にかけて痛みが走ります。昨日は、久しぶりにそういう症状になりました。今日は少し休んで、夕方、整骨院に行きました。

原因は、昨年の今頃わかったことですが、頸椎症です。「骨棘(こつきょく)」と言って、私の場合は5番目と6番目の右側のところの骨の一部が「とげ」になってはみ出しています。また、5と6番、6と7番の間にヘルニアがあります。それが、痛みとしびれに表れてくるのです。
5番と6番の頸椎は人差し指と中指に神経がつながっているので、PCを使いすぎると腕がしびれてきたりしますが、とにかく頚椎に負担をかけないようにすることが大事です。

でも、この状況を「気に入っている」と言えば変ですが、パウロの「私にはとげが与えられています」ということばを思い出して、「おっ!同じ!」って思って満足しています。「たかぶることのないためです」というのは、そのとおりです。自分に与えられたものを正しく見て、その範囲の中で最大限の務めを果たすことを学んでいます。

私たちが経験するすべてのことには意味があると思います。

聖会と息子の成人式

今日は教区の新年聖会が行われました。
また新成人の祝福の時がありましたが、息子も祝福にあずかりました。

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三人のこどもが委ねられ、最後のそして息子の成人式であり本当に感謝でした。何を得、何を持つよりも、神様の祝福にあずかることに勝ることはありません。その場に彼がいることができたことは、主の憐れみ以外のなにものでもありません。

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写真を撮っているところに飛び入りしました。尭生が戸惑っています。
これからは、同じ一人の男性として、そして主のしもべとしても、ともに歩んでいきたいと思います。

聖会の講師は神学校の先輩の畑野順一先生でした。
主のためにと思って仕える、その自分自身の中にある思いに目を向けなければならないと語られました。大事なことだと思いました。聖会に出席したいと願いながら、それもかなわない多くの方々がおられることを覚えます。それぞれの場があることを受け入れたいと思います。そして出席できることを感謝します。しかし、聴く耳を持っているか、与えられた機会を生かしているかは問われていると思います。

今年のテーマ

明日から教会の事務が始まるのが、一日早く出勤?して静かな牧師室で一日を過ごした。

「失われた人をキリストの花嫁に」とは、私たちの教会の標語であり、教会の働きを表現したものであるが、これは人がどのようにキリストの似姿に変えられていくかということを表している。
この大目標を少し解きほぐして、今年まとめてみたいテーマについて考えた。

●一つは、「聖化」に関することであるが、人が変えられていくための「場」「交わり」について。私たちは主の弟子としてどのように成長していくのか。人生の危機をどのように乗り越えていくのか。これは教会形成、教会開拓の理念の土台にもつながっていく。リーダーシップにもからませたい。

●もう一つは、しばらく前に教団の教職セミナーの初題のためにまとめた「栄化」についてもう少し掘り下げてみたい。その内容を説教としてまとめたいと思う。鍵の言葉は、「重」「からだ」「化」の三つ。
http://hitomi.net/mblog/archives/546.html

それぞれのテーマを夏に依頼されている二つの聖会のメッセージの骨格としようと思う。

家族の構図

元旦に家族の写真を撮った。

子どもたちが小さい頃から、家族写真の構図は、私たち夫婦が子どもたちを間にはさむというかたちだった。それが自然であり家族の姿を表していたように思う。

しかし今年の写真は、私と息子が女性たちを囲む構図になった。これは初めてのこと。家族の構図が変化しはじめた。

いつか、私たち夫婦が子どもたちにはさまれる時が来るのだろうか。

新年おめでとうございます

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新年あけましておめでとうございます。
主の恵みによって新しい年を歩み出すことができました。
今年もよろしくお願いいたします。

クリスマスのご挨拶

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クリスマスおめでとうございます

私たちの救い主イエスキリストの御名を賛美いたします。
アドベントを迎えて皆様にはいかがお過ごしでしょうか。神様の豊かな祝福をお祈りいたします。特に東北地方をはじめ被災地の皆様と御教会の上に、インマヌエルの主の恵みがありますように、心からお祈りいたします。

私たちも皆様のお祈りと神様の守りの中で、元気にアドベントの季節を迎えました。
私たちは先月結婚25年の記念日を迎えました。当日は私たちが新婚旅行を過ごした六甲山に出かけて、わずかなひとときではありましたが、これまでの人生の中に主が与えられた恵みを話し合いました。それは感謝の時であり、主の愛の一つ一つを覚えて心が熱くなりました。
また、これからの生き方についても互いに語り合う時を持ちました。この25年間をふり返ると、本当に多くのことがありました。特に今年は東日本大震災の後、阪神大震災を経験した者として講演や原稿を依頼されることがありましたが、そのことを通して改めて17年前の宿題を残したままにしているのではないかと問われることもあります。たしかに、この数年は私たちの人生のタイムラインの中で大きな節目を過ごしていると実感しますし、そのことは私たちの課題であり主がさらに明確にしてくださると思います。与えられた3人の子どもたちもそれぞれ巣立っていく時期を迎えており、そういう意味ではこれからが私たちの人生の本番かもしれません。

子どもたちや両親のためにもお祈りを感謝します。詩織(24)は4月からキリスト者学生会(KGK)で主事として奉仕させていただいています。日曜日には横浜市の青葉台ナザレン教会のユーススタッフとして迎えていただき、新しい地での独り暮らしにも少し慣れてきたようです。瞳(22)は一昨年から少し体調を崩して、今年も休息の時を過ごしましたが、このことも彼女を愛してくださっている主の深いご計画の中にあることを信じています。尭生(たかお20)は、大阪芸術大学音楽学部でベースギターを専攻しています。新年にはいよいよ成人式を迎えることにます。
父照夫(85)と母邦子(78)も多くの方々の愛と祈りとに支えられてきました。父は私が不在の時は何度か西宮の礼拝でみことばの奉仕をしてくれました。また毎月の阪神宣教祈祷会に出席して若い牧師たちを励ましています。母もこれまで通り家庭と教会の働きの細々としたところに気を使いながら過ごしています。今年は少し足腰を痛めましたが、おいのりに支えられつつ徐々に回復しています。
恵の父加藤昇(78)と母美知子(81)は、米沢から西宮の地に移って四回目のクリスマスを迎えます。父は持病の喘息と心臓に弱さを覚えていますが、不思議なように守られています。今年は成人分級で聖句書道クラスを担当してくれました。母はいつものように家族や教会のために祈りに励んで過ごしています。パソコンに向かって与えられた人生を振り返りその恵みを書き綴っているようです。

愛する皆様の上に神様の豊かな祝福をお祈りいたします。私たちは、新しい年も皆様とともに主に仕えて歩むことを願っています。神の国の前進と拡大のために喜びをもって主の教会と人々に仕えて参ります。新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。
豊かな祝福をもって新しい年を導いて下さる主をほめたたえつつ。感謝。
                            2011年クリスマス
                            小平牧生 恵 

わたしは世の光です

 先々週の土曜日、満月が地球の影にすっぽり隠れる「皆既月食」が全国各地で観測されました。欠け始めから終わりまでのプロセスが日本全国で観測できたのは2000年7月以来11年ぶりだったようです。そういうことにほとんど関心のない私ですが、夜の10時頃に友人から「空を見上げろ」というメールが来たのでベランダに出てみますと、あまりにもあざやかな欠け具合に目を奪われてしばらく月夜を見上げていました。

 ご存知のように、月食というのは、太陽・地球・月が一直線に並び、月に当たる太陽光を地球が遮ることで起きます。ですから「月が欠ける」のではもちろんなく「地球が妨げている」にすぎないのですが、見ている私には「月が欠けている」としか思えません。自分の位置に気がつかないということはこういうことなのだとあらためて考えさせられ、「人を見て『あの人は…』と思っている私が、実は神様の光の妨になっているのかもしれない」と、自分の月食ぶりに反省させられる思いでした。

 ところで、クリスマスのできごとについて、ヨハネはマタイやルカとはちがう書き方をしています。「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」(1:9)とあるように、救い主を「光」それも「まことの光」として紹介しているのです。そして、この「光はやみの中に輝いており、やみはこれに打ち勝たなかった」(5)とあります。まさに今は暗闇の時代ではないでしょうか。どんなに金や銀がすばらしくても、また明るい色であらゆるものを塗ってみても光がなければ暗闇です。しかし光があればどんな暗闇も明るくされます。必要なものはまことの光なのです。

 同時に、「わたしは世の光です」と語られたイエスキリストが、私たちに対して「あなたがたは世界の光です」と語っておられることに心を留めたいと思います。私たちが光であるとはどういうことでしょうか。もう一度月食のことを思い出して下さい。イエスキリストが「まことの光」であるとは、太陽の光のような光です。しかし私たちが「光」であるとは月の光のような光です。イエスキリストは光そのものです。しかし私たちは光そのものではなく、イエスキリストの光を輝かすものです。

宿題

クリスマスシーズン。

17年前、そして5年前の宿題がまだできていない。
そんな感じだ。

組織とネットワーク

牧師になって五年目くらいの頃だったと思うが、当時、教区の若手牧師だった鵜飼先生や大塚満先生と、「もっと牧会について学ばなければいけない」という話になった。それで、羽鳥の春秋の大会に出かける時に池原先生の牧会される教会に泊まって学び会をさせていただくことになった。池原先生が当時牧会されていた三ツ境教会は教団の中でよく成長している教会であり、先生ご夫妻も我々を歓迎して下さり何の謝礼もなかったが、楽しい学びの時や食事や宿泊を提供してくださった。説教や伝道のことをはじめ牧師の家庭のことまでいろいろなことを話し合った。そのような学び会が3年位続いたと思う。ところが、ある時になって、教団から「あまり特定のグループを作ってはならない」と指導を受けてしまった。「教団にはそのために教職セミナーがあるのだから」ということであった。しかし、大勢が集まっての教室タイプのセミナーは知識の伝達には向いているが、私たちが本当に学びたいことは充分に学べなかった。

残念ながらその学び会はそれ以上続けられなかったが、その後、牧会を学ぶ小さなインフォーマルな交わりの重要性を教団の会議でことあるたびに訴えた。そしてやがて2000年を前にして教団の組織改革が行われた時に宣教戦略委員会とともに教会形成委員会ができて、私はその委員長にしていただいた。さっそく宣教戦略委員会の委員長になった鵜飼先生とともに「教会形成支援セミナー」の企画を立てた。7〜8名の先生方とともに年に二回泊まりこんで教会形成を学ぶための集まりであった。集まった方々と自分の内面的なことも分かち合いながら楽しい集まりを持つことができた。同労者としての意識も強められていったと思う。ところが、数年たって教団からストップがかかった。教団のお金をつかっていることと、少人数のグループはふさわしくないということであった。そこで話された内容について私が報告しなかったこともあり(それが参加者との約束であった)、「自分のグループを作っている」という批判まで受けてしまったのだ。「教団と切り離してするならいい」ということであった。最初の時のことはなんだったのだろうか。

組織というのはむつかしいとつくづく思う。また現場を離れた考え方をすることが多い。しかし私は組織に失望はしていない。組織にはネットワークにはない「目的を共有する意識」がある。教会の歴史という文脈もある。しかし、ネットワークには「現場の生活や働き」がある。無限の広がりがある。

今週はアジアンアクセスJCGIネットワークの合同研修に出席したが、そこでは組織を代表しては会うことができない多くの方々との交わりがあった。私自身は自分に与えられた立場や経験を生かしながら、教団やJEAという「組織」的な働きと、たとえばJCGIのような「ネットワーク」性のある働きの融合のために役割を果したいと思わされている。

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